2023/05/18.Thu
梅雨の走り (和ガラスの小瓶)
明日は本降りの気配である。そろそろ梅雨の走りであろうか。

雨であればと、満開となったマダム・ピエール・ユラーを惜しみつつもカットする。
お団子みたいでスイマセン、、枝を残したいので、短い枝。

暗いバックで撮ればもっといいだろうなぁ。
咲き始めは高芯咲きのアーリー・ハイブリッド・ティー。
満開になると万華鏡のように花びらが展開し、10cmもの花になる。
いつも、こんなにたくさんの花びらが開ききるのかと心配になるのだが、きっちり開いて長く咲く。
三毛庵の不十分なお世話でも、まるで野育ちかと思うほどにしっかり、でも夢のように咲く。
「花が咲く」ということがいかに稀有であるかを感じさせてくれる薔薇。
そういえば、手に入れた絵は、ピークからもう崩れるように枯れてゆかんとする花と、熟しきって朽ちてゆかんとする果物であった。
生きてはいない花や果物の絵というのはあるものだが、滅びゆかんとする姿を描いたものは案外なく、それが気になったのだった。
三毛庵は、造花というものが好きにはなれない。花の全ての対極にあるものだと思う。
唯一好きなのは、水中花かな。あれはもう初めから造り物で、そして夢のようだから。
長谷川りん二郎の水中花の絵なんか、あぁこういう感じ!って感心する。
梅酒を飲んだグラスを片付けようとして、棚にしまった小ビンを見つける。

どうするのかというと、持っているだけなのであるが、、

大正から昭和初期ごろの硝子というのは、ぎゅうっと胸が締め付けられる。
水中花の儚さに通ずるものがある。

三毛庵は、大正・昭和初期というものにどうにも惹かれることが多くて不思議である。
そういう好みなのだろうけど、でも、いつか今のような時代が来るということを、何か知らせていたようにも思う。

北海道よりアスパラを頂戴す。
1日目は茹でてそのままマヨネーズで(市販のマヨネーズは十二分においしい)、
2日目はベーコン巻でいただく。よいものは簡単においしくいただけるものだ。

雨であればと、満開となったマダム・ピエール・ユラーを惜しみつつもカットする。
お団子みたいでスイマセン、、枝を残したいので、短い枝。

暗いバックで撮ればもっといいだろうなぁ。
咲き始めは高芯咲きのアーリー・ハイブリッド・ティー。
満開になると万華鏡のように花びらが展開し、10cmもの花になる。
いつも、こんなにたくさんの花びらが開ききるのかと心配になるのだが、きっちり開いて長く咲く。
三毛庵の不十分なお世話でも、まるで野育ちかと思うほどにしっかり、でも夢のように咲く。
「花が咲く」ということがいかに稀有であるかを感じさせてくれる薔薇。
そういえば、手に入れた絵は、ピークからもう崩れるように枯れてゆかんとする花と、熟しきって朽ちてゆかんとする果物であった。
生きてはいない花や果物の絵というのはあるものだが、滅びゆかんとする姿を描いたものは案外なく、それが気になったのだった。
三毛庵は、造花というものが好きにはなれない。花の全ての対極にあるものだと思う。
唯一好きなのは、水中花かな。あれはもう初めから造り物で、そして夢のようだから。
長谷川りん二郎の水中花の絵なんか、あぁこういう感じ!って感心する。
梅酒を飲んだグラスを片付けようとして、棚にしまった小ビンを見つける。

どうするのかというと、持っているだけなのであるが、、

大正から昭和初期ごろの硝子というのは、ぎゅうっと胸が締め付けられる。
水中花の儚さに通ずるものがある。

三毛庵は、大正・昭和初期というものにどうにも惹かれることが多くて不思議である。
そういう好みなのだろうけど、でも、いつか今のような時代が来るということを、何か知らせていたようにも思う。

北海道よりアスパラを頂戴す。
1日目は茹でてそのままマヨネーズで(市販のマヨネーズは十二分においしい)、
2日目はベーコン巻でいただく。よいものは簡単においしくいただけるものだ。
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2023/05/14.Sun
2023年の春は過ぎゆく (ルネ・ラリック 杯 『VINGEN』)

『ミセス ジョン レイン』
ハイブリッド・パーペチュアルの中では返り咲き性に優れ、ほとんど棘のない細い枝で半蔓になる。
大鉢で結構テキトーに育てても咲いてくれる抜かりなさからは想像も及ばない別嬪さんである。
つまり、コンパクトなつる薔薇風景にはもってこいなのである。
(四季咲きのつる薔薇のほどんどはアスリート並みに巨大化するのでコントロールができない。)

胡蝶蘭『サクラン』(たぶん)
大抵の胡蝶蘭には香りはないが、この品種は有香の原種、シレリアナの血を引くそうで、表現しがたい佳い香りが漂う。
(蘭の香りだなぁ、っていういい匂い。)
椎名洋ラン園さんの作出で、椎名洋ラン園さんのお花には品種名がついていないことが多いので、たぶん、としか書けないけど。
でもいっぱい流通しているので、ホームセンターでも運よく買えたりする。くんくんすればすぐわかる。
今日は何かするには疲れているけど寝るには早いので、もう終盤の薔薇などアップする。
昨日、勝見充男さんの本を読んでいて、少し前に買った杯を取り出す。

ルネ・ラリック『VINGEN』
今もラリックの工場があるというVINGENの名を冠するアール・デコ様式のグラス。
1926年製ということだから、昭和でいうと元年?
実際、当時のガラス製品らしく、ブラックライトを当てると蛍光色に光る。
西洋アンティークのガラス類というのは、コレクションするならともかくも、実用に、、というとなかなか日本の暮らしに向くものがない。
金彩の少し剥げたオールド・バカラのような、華やかすぎないものなどいいなと思うけど。
でもこれは見てすぐ、これで純米の冷酒をーって思ったやつ。

へーっ、こんなんあるんや、とちょっとときめいたもの。
<備忘録>
過ぎ越してしまったこの2か月にしたことを書いておこう。
3月の終わりにうっかり絵を買ってしまい、なんだって絵を買うのかなーと考え続ける。
(絵は買うものだ、というのは三毛庵にとっては自明の理であるが、時々このことについて反芻するのである。)
なので久しぶりに展覧会にも行ったりする。
4月8日(土) 和歌山県立近代美術館「とびたつとき 池田満寿夫とデモクラートの作家」
瑛九とデモクラートの作家の版画活動など、泉茂とかよかった。
4月22日(土) 宮城県美術館常設展示
洲之内コレクション 絵の中の散歩、気まぐれ美術館の代表作から
ほかに「ぐりとぐら」の山脇百合子さんの原画、クレーとカンディンスキー など
絵について何かを考えるとき、洲之内コレクションを見に行くことがある。
今回は、コレクションの中でも代表的と言ってよい、選りすぐりの画家のものが展示されていた。
贅沢ではあったけれど、メインディッシュばかりだったからコレクション性がなぜか薄れる。
もう少し素描とかも出してほしいな、などと思う。
宮城県美術館は移転論争に決着がつき、現状維持のためこの後休館に入る。
その前のコレクション展示であった。
彫刻の佐藤忠良の展示室など、何気に好きであったので、現状維持はうれしい。
あれ?でも休館するのならどこか外で洲之内コレクションの全体展示をしてくれないかなー。
GW前半
何をトチ狂ったのかまた絵を買う。珍しく現代のお方。また絵を買うということについて考える。
GW後半
友達を案内して、蒲生野(滋賀県)の辺りへ行ったり、天川(奈良県)へ行ったり。
奈良公園周辺だけで奈良を理解したと思ってはいけない。。
そんなところかな。
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2023/05/13.Sat
『勝見充男大全』 (英吉利のテディベア盃)
気がつけば、前回記事を上げてから二か月過ぎているという、、最長不倒距離だなぁ、これは。
その間に、椿や牡丹や、そして今は薔薇が通り過ぎつつあり、恒例の筍ご飯も画像を放置。。
まぁそれなりに日々暮らしているのだが、どうもブログには辿り着けない。
久しぶりに街をぶらぶら、本屋さんを覗いてくる。
お目当てのものはなかったけれど、こんなものが出ていたんだ!

月刊『目の眼』別冊、『勝見充男大全』
私が骨董沼にどっぷり嵌っていたころ(今も他所様と比べれば嵌っているのだろうけど)、
名品にもちびたものにも筋の通った勝見さんのSELECTにはいつも羨望の眼差しであった。
もう一冊の本は2000年3月号の『太陽』で、「ワクワクしなけりゃ、骨董じゃない。」という、勝見さんセレクションの骨董が載っている、当時のバイブルである(笑)。
三毛庵は本に穴が開くほど眺めては、ガラクタの中のピンとはどういうものかを考えたものだ。
そして、絵でも骨董でも、憧れの先達の旧蔵品を手に入れるよりは、そういう風に自分も自分なりの眼を育てたいと思ったものである。
それでも、、これは、と、その禁を破ることが過去にはあった。
ひとつにはこちら@の秦秀雄の瀬戸の飯茶碗である。
究極の日常遣い品、飯茶碗であったからこそ、これでご飯を食べて、秦秀雄を理解したいと思ったのだ。
そして、もうひとつは、、

この『太陽』51頁(左下)に載っている、テディベア盃である。
これは、勝見さんがイギリスで買い付けて、甍堂の青井さんに渡ったという、華々しい経歴のガラクタなのだ。知らんけど。

実は西洋アンティークのお店に行くと、このちょいワルなテディベアの食器シリーズはたまに見かけることがある。
でもこんなイイ感じにちびてないんだなぁ、普通のは。
その辺りが骨董というものの不思議なところで、アジと伝来が高付加価値を生むのである。
『太陽』でこれを見たとき、西洋骨董にもこんなこじゃれたものがあるのかーととても気になっていて、なのでこの盃が出たとき、当時のどっぷり沼に嵌った自分が懐かしく、どうしても欲しくなっちゃったのである。
手に入れてすぐ、このTin缶を誂えたのがこの頃@で、あれれ6年も経ったのか、
実はいまだ気に入った布で包むことができていないなー。
久しぶりに勝見ワールドを読み耽って、あぁ、やっぱり「もの」っていいなぁ、、そのように感じ入る。
おそらくあまり商売にはならないようなガラクタも、ちゃんと骨董として取り上げる勝見さん!
三毛庵なんぞ、あっちもこっちもつまみ食いするのでなかなか筋の通った暮らしにはならないのであるが、
市で飛び切りの自分らしいガラクタ見つけていつかお見せしたいものである。

クマにはクマ色の丹波なんかで民芸調にしてみたり、

碧い硝子(でもごりごりの和もの)の徳利を持ってきてみたり、、どっちで吞もうかな。
その間に、椿や牡丹や、そして今は薔薇が通り過ぎつつあり、恒例の筍ご飯も画像を放置。。
まぁそれなりに日々暮らしているのだが、どうもブログには辿り着けない。
久しぶりに街をぶらぶら、本屋さんを覗いてくる。
お目当てのものはなかったけれど、こんなものが出ていたんだ!

月刊『目の眼』別冊、『勝見充男大全』
私が骨董沼にどっぷり嵌っていたころ(今も他所様と比べれば嵌っているのだろうけど)、
名品にもちびたものにも筋の通った勝見さんのSELECTにはいつも羨望の眼差しであった。
もう一冊の本は2000年3月号の『太陽』で、「ワクワクしなけりゃ、骨董じゃない。」という、勝見さんセレクションの骨董が載っている、当時のバイブルである(笑)。
三毛庵は本に穴が開くほど眺めては、ガラクタの中のピンとはどういうものかを考えたものだ。
そして、絵でも骨董でも、憧れの先達の旧蔵品を手に入れるよりは、そういう風に自分も自分なりの眼を育てたいと思ったものである。
それでも、、これは、と、その禁を破ることが過去にはあった。
ひとつにはこちら@の秦秀雄の瀬戸の飯茶碗である。
究極の日常遣い品、飯茶碗であったからこそ、これでご飯を食べて、秦秀雄を理解したいと思ったのだ。
そして、もうひとつは、、

この『太陽』51頁(左下)に載っている、テディベア盃である。
これは、勝見さんがイギリスで買い付けて、甍堂の青井さんに渡ったという、華々しい経歴のガラクタなのだ。知らんけど。

実は西洋アンティークのお店に行くと、このちょいワルなテディベアの食器シリーズはたまに見かけることがある。
でもこんなイイ感じにちびてないんだなぁ、普通のは。
その辺りが骨董というものの不思議なところで、アジと伝来が高付加価値を生むのである。
『太陽』でこれを見たとき、西洋骨董にもこんなこじゃれたものがあるのかーととても気になっていて、なのでこの盃が出たとき、当時のどっぷり沼に嵌った自分が懐かしく、どうしても欲しくなっちゃったのである。
手に入れてすぐ、このTin缶を誂えたのがこの頃@で、あれれ6年も経ったのか、
実はいまだ気に入った布で包むことができていないなー。
久しぶりに勝見ワールドを読み耽って、あぁ、やっぱり「もの」っていいなぁ、、そのように感じ入る。
おそらくあまり商売にはならないようなガラクタも、ちゃんと骨董として取り上げる勝見さん!
三毛庵なんぞ、あっちもこっちもつまみ食いするのでなかなか筋の通った暮らしにはならないのであるが、
市で飛び切りの自分らしいガラクタ見つけていつかお見せしたいものである。

クマにはクマ色の丹波なんかで民芸調にしてみたり、

碧い硝子(でもごりごりの和もの)の徳利を持ってきてみたり、、どっちで吞もうかな。
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