2017/10/15.Sun

秋の色 (珉平色絵小段重)

寒くなる寒くなるといいながら、この辺りはそうでもなかったのだけれど、
昼頃から冷たい雨に変わってきてひんやりとしてくる。
10月も半ばになってようやく衣替えをする。
衣替えをするほど服を持っているわけでもないのだが、
なぜか箪笥の中にお皿が入っていたりするものだから、
肝心の服を入れる場所がなく、半分をベッドの下に入れ、
衣替えするのである。。

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珉平(淡陶っていうのかな)のちび段重ふたつ。
大きいほうは春に花見団子のお色にひと目ぼれしたもの。
ほどなくして東京の市でがらくたの山の中から、ちびっこのほうを見つけた。
がらくたであるので、お土産気分で手に入り、すっかり浮かれた三毛庵である。
小さいほうは、対照的に秋のお色である、どんぐりなぞ入れてみたいものだ。
まぁその程度の使いみちしか浮かばないが、
たまにお干菓子など摘まむときに、ここに入れてもいいやもしれぬ。

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お庭もすっかり秋のお色、ミスカンサス(ススキ)「パープルフォール」が
穂を揺らしている。
暖地でも寒くなったら名前の通り、紅葉するのであろうか。
街灯の光が差すので開花するか心配だったアメジストセージ
(サルビア・レウカンサ)もちゃんと咲いてくれた(処分苗)。

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大きくなりすぎて、通路に枝垂れてのんちゃんの顰蹙を買っている
ホトトギス。

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三毛庵的には秋の庭は多少荒れているぐらいがいいのだが、
やはりコントロールされていないと庭とは呼べないのであろうか。

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何しろ、横着してる間にマユハケオモトの鉢が雑草に占拠され、
せっかくの可愛い花が台無しなのである。。

この秋雨が済んだら、庭仕事のシーズン。
一年で大きくなったススキは株分けが必要だし、
競うようにはびこっている姫ツルソバと蛇苺も間引かねばなるまい。
何しろ植え過ぎなお庭である。。
といいつつ、今日はホームセンターの処分品のホスタを手に入れた。
今から地上部がなくなるものを、、とは思うが
秋は活着がいいし、来春芽出しから眺められる。
開花株にはない愉しみである。
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2017/10/07.Sat

「一汁一菜でよいという提案」(土井善晴著)

少し計り、緊張を強いられていた仕事が山を越え、
疲れが出た昨夜は、残り物のおかずを摘んで済ませた。
ゆっくり寝て回復を、と思ったけれど疲れすぎていたのか目が覚める。

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思い立って夜中というのにごそごそと薄めのお味噌汁を作る。
残っていた茄子を切り、玉子を落とし、青ネギを散らす。
出汁に使った小さめに切った昆布と煮干しもそのままいただく。
お味噌と出汁の滋養が染み渡る心地。
お椀は山中温泉で旅の記念に買った山中塗。
溜塗にのんちゃんのは黒、三毛庵のは朱の見込みである。

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先日の片づけで久しぶりにご対面の徳利
瀬戸として買ったものだが、京焼の茶筌徳利にも似ている。
(ほんとうはもう少し黄味のある色なのだが、上手く撮れない。)

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雀が描いてあるところがお気に入りだが・・・

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案山子と鳴子が表にはあって、実りの季節のものであることが分かる。
この時期、里のほうへドライブに行くと
文字通り黄金色の田んぼが拡がり、豊かでありがたい気持ちになる。
三毛庵の仕事が果たして世のためになっているかは知らねども、
世の仕事が回りまわってお米の収穫に繋がっていることを望む。

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決して読書家とはいえない三毛庵であるが、近ごろ読んだ
料理家の土井善晴さんの「一汁一菜でよい提案」という本、
これがとてもこころに沁みた。
(手に取って触れた感じ、目に映る色や質感も美しい本だ。)
派手ではないけれど質の良い器に盛られたふだんの食事の写真、
お膳を整えるお盆なんかの写真があって、
いやしい三毛庵は「ふだんの食事の料理本かな?」と思ったのであるが。

巷にはハウツーものの本があふれていて、いやそれ以外にも
暮らしを整えることの本もあふれていて、
忙しい今の時代の人は、これではいけない、
そう思うことがいかに多いのだろうかと想像させられるのであるが、
そういう人たちの善くあろうとして却ってそれがストレスとなっている事実に、
この本は小さな提案をし、何も無理をする必要はないのだと言っている。
一膳の御飯と一杯のお味噌汁に香の物でよいのだと、
おいしくできる日もあればそうでない日もあって、それでよいのだと。
ハウツーものはあまり得意ではなく、暮らしの本を眺めるのは好きだけれど、
こういうものを使ったらよかった、あるいはものを減らせばここちよい、
というような情報にあまりに踊らされるのも楽しくない三毛庵であるが、
この本はそういうものではない。
土井さんという方は、食べるということを通して、生き方そのものを
常に問い続けている方なのだと思う。
この本には文化というのはどういうことかが易しく書かれている。
あるいは生きるための哲学である。
あるいは信仰にも似たものである。
どうも力不足でこの感銘をお伝えすることができないのであるが、
ちょっと色々のことに自信がなくなったり、
善く生きようとしていろんな強迫観念がついて回って不安になったり、
そういう人はこの本にほっとし、励まされるのではないかと思う。
まぁでも、人それぞれ本にも出会いがあるから、
ほかの人が今この本を必要としているかといえばわからない。
ただ三毛庵は、時折この本のページをめくって、
ところどころを読むだけで、今日も無事に過ごせたことをありがたく思い、
明日も善き日となることを祈るのである。
自分のため、人のためにケの食事を日々作ること、
普通の人にとって、それが生きることであり、祈ることなのだ。

・・・因みにキッチンにオールドのバルーチを敷いちゃった三毛庵は、
自分にとって「食事を作る」という大切な場だから
美しいバルーチを敷いて良かったな、この本を読んで、そう思ったのであった。
(もちろん時折洋服用のブラシでブラッシングして、大切にしている。)
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2017/09/16.Sat

仙人掌 (不染鉄展覧会と万古焼豆皿)

仙人掌とは、サボテンを指すのだそうだ。

帝展出品作だけあって、とても大きな画。
二階建ての民家の前に庭が拡がる。
白いペンキを塗った平べったい温室(園芸店であった私の祖父の
ところにもあって、それはフレームと呼ばれていた)に、
所狭しといろいろの姿かたちをした多肉、サボテンが並んでいる。
フレームの周りにもいろいろの草花がある。
朝顔の鉢もあるし、実が成っているのはどうやらイチジクのようである。
季節は晩夏であろうか。

不染鉄の戦前(昭和8年)の帝展入選作品が、奈良県内でみつかったそうである。
東京ステーションギャラリーのときには「海村」がみつかった。
それを楽しみに奈良県立美術館に行くと、「仙人掌」が展示されていたのだった。
大きな画面に、サボテンが沢山、ひとつひとつこまごまと違いが描き分けられている。
きっと、ほんとうにそういう姿のものを育てていたのだろう。
そういえば、ちょっとした水辺の風景でも、葦であったり沢潟であったり、
不染鉄の絵は、ちゃんと対象を捉えて描いてある。
(写実などというより、「あぁ、そこに沢潟が生えている」と彼が思ったそのままが
描かれてあるといった具合だ。)
サボテンの画には小さな字で、市でサボテンを見かけるとひとつずつ買ってきて、
温室にペンキを塗り、冬は防寒したりしながら丹精したことが描かれている。
絵に文章を描き込むのは彼の癖だが、絵巻物やら画賛など、
日本画として寧ろ正統的なことなのかもしれない。
でも、ちまちまとした丸字で帝展作品に描き込んでしまうというのは、やっぱり不思議である。

それにしても美しい画だ。
たくさんの小さなサボテンの緑青が目に沁みる。
世の中の画には、このように描けば美しい、というような
決まりごとが凡そあり、この画はそれに属しているわけでもないというのに、
サボテンのひとつひとつに毎日彼が満ち足りた気持ちを抱いたであろうことが、
画を見る私に伝わってくる。
緑青の同じ色でひたすらいろいろの草花を並べて、
目に映る緑がどれほど美しいかを言いたかったのだろうか。
(その後に戦争の時代がやってきて、このような暮らしが
破壊されたであろうことなど想像ができないほどだ。)
この画から伝わってくる、彼のサボテンへの細やかでマニアックな心の動きは、
何か彼の画の秘密を物語っているように思う。
そうして、ひとつひとつのサボテンを描き切る彼の画力も密かに見逃せない。
鍛錬のない画家は画家とは呼べない。でも計算とテクニックがどれだけ凄くても
それだけでは画家にはなれない。(というのは、自分の考えであるけれども。)
自分がこころを動かされたものを見える形にするために技術はあるのだもの。
私は今回の展覧会で、ようやっと彼の姿の一部が見えた気がする。
納得するまで、あるいは心を動かされる都度、同じ主題を描いている。
でも心が動いているから、それらはひとつとして同じものではない。
そして、それらを表現するために実は過去の自分のテクニックには拘らない。
私が思っていたよりも不染鉄という画家はずっと革新的なのであった。
(不染鉄のことをヘタウマの系列で捉える人も居ない訳ではないようだれど、
私の実感は違う。また、素朴と捉える向きもあるようだけれど、それも違う。)

先日、奈良県立美術館の松川綾子学芸員の解説を聞き、
そういった彼の姿をおぼろげながらに捉えることができたのは、
氏の丁寧な仕事に拠るところが大きいことを知った。
不染鉄とは?という問いを日々投げかけながらの仕事であったのだろう。

また、主催の産経新聞社の方は、偶然21年前の奈良での展覧会を見て、
いつか不染鉄の展覧会をやりたい、そう思ってきたそうである。
この展覧会はそういった不染鉄を愛した方々の熱意があって実現したのであった。
東京では2万8千人の動員であったという。
故郷東京では、展覧会開催時には無名に等しくなっていたのだから、
この数は、真に彼の画を見たいと思った人の数なのだ。
奈良の地へもこのような人たちが足を運んでくれることを願っている。
(東京で観た皆さまも、仙人掌を観に、是非秋の奈良へとお越しください。)

「没後40年 幻の画家 不染鉄」展
2017年9月9日(土)~11月5日(日) 奈良県立美術館

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さて、いつものように画がないので、ふるもの画像をアップする。
見た途端に美しい色に魅入られた。

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珉平にはないようなお色だな、と思うと万古焼なのだそうである。
この色にはどうしても引っかかって、それはなんだろうと
思っていたのだけれど、仙人掌の画を見て思い出した。
ああ、これって美しい緑青のお色、描かれているサボテンと同じ色。

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そうして、何を思い出そうとしていたのかようやく気付いた、
ああ、あの不染鉄の図録の表紙、あれって緑青色だったんだ!!
(図録はしっかりゲットした。印刷ではどうしても彼の画の繊細な表現は
伝わらないとはいえ、解説も豊富な貴重な資料である。)

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(長径:6.8cm)

おまけ、胡桃と干葡萄のパンも焼いてみた♪
(このところ恐ろしく仕事漬けであるが、美味しいパンはちょっとした
息抜きをもたらしてくれる。)
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絵のこと | Comments(0)
2017/08/20.Sun

「暮らす」時代 (スリップウェア鶏文皿)

先日のナゾの西洋のお皿@を手に入れた前後から、
ちょこちょこと西洋のものにご縁がある。
三毛庵おそらく和もの好きであるとは思うけれど、
そういう和もの好きから見て好もしく思えるような西洋のものたちである。
洋ものに関心ができて探したとかそういうのではなく、
このようなご縁というのは何故か芋蔓式にやってくるのである。

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「何か分かったらちゃんと報告してな。」と言われつつ連れ帰ったおである。
うーん、何かと問われればスリップウェアだよなぁ。。
そうは思ったけれど、スリップウェアの故郷、英吉利のものなのであろうか?
そうであるならば、時代は何世紀になるのであろうか?
昔、スリップウェア展も見に行き、図録も持っている三毛庵であるが、
どうも確証が持てない。

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(23.5cm)

鶏の文様は英吉利のスリップウェアにはよくあるようである。
釉薬のお色も、同じようなものがある。

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こういうとき、高台には重要なヒントが隠れていることが多いが、
そもそも三毛庵の持っている本にはの表は写っていても、
裏側までは写っていないのである。

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実はこれには針金で手作りした掛けがついていた。
「近美の評論家の書斎にあった」という触れ込みであった。
近美の評論家と言われて思い浮かぶのは、河北倫明氏である。
絵の好きな三毛庵にとって、その触れ込みだけでも十二分に魅力であったが、
河北氏がほんとうならば、民芸運動の時期とも重なるのではないかと思われ、
当時招来されたものではなかろうかなどとも妄想するのであるが・・・。

思いがけずアンティークと思しきスリップウェアを手に入れて、
まぁそれが、三毛庵らしくあの、さざ波みたいな文様ではなく絵文様である。
(さざ波みたいなやつなら、とうに誰かの手に渡っていたろう。)
とはいえトフトウェアみたいに豪華ではない、楚々としたトリさんであるところがよろしい。
暫く転がして横目で眺めていたけれど、なかなかに美味しそうで、
今度白くないパンなど盛ってみたいと思う次第である。

昨日は休日返上でお仕事、、そうなると沸々と何かしたい欲求に駆られ、
お昼休みは本屋さんで気分転換。

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暮しの手帖 別冊「家事じょうずの暮らし」、家事上手になろうと目論んだわけではない。
家事を暮らしそのものと捉えて愉しんでいる方のお家がたくさん載っていたので、
なんだかこのところ仕事に明け暮れていた三毛庵は、
お宅拝見♪でちょっこら気分を上げ、自分の暮らしも整えたいと思ったのだ。
三毛庵の場合、時短術とか断捨離とか読んだところで、
渇きが癒されるわけでもない。
ただ、「時間を取られる」という考え方に陥らずに家事をしたいと思うのだ。
いやしんぼうにとって、美味しいお茶とは愉しく淹れたお茶であることは自明の理である。

『「生活工芸」の時代』(三谷龍二+新潮社編)
もう3年も前に出版された本であった。。
自分が骨董などのものと暮らしている一方、
世の中も「暮らし」を大切にする時代になって、でもその中で、
なんというか悪い意味でそれがファッションみたいになっていたりもして、
こういう時代を識者の方はどのように捉えておられるのか、と手に取ってみた。
(近ごろは、ミニマリズムでさえ「消費」されているような気がする。。)
振り返って三毛庵はといえば、まぁ雑食でいろいろ食べるのである。
でも自分が気になったことをうやむやにしない暮らしは愉しいものである。
誰かに見せるために暮らしているわけじゃないのだから
やりたいようにやればいいのであるが、ほんとうに好きでしていることには、
結果的に一定の統一感といったようなものが生まれるのが不思議である。
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2017/07/15.Sat

夏祭りのころ (織部梅文香合)

昨日の夕方、街路樹の幹をよじ登っていく蝉の幼虫を見た。
今朝には蝉となって、鳴き始めているであろうか。
夏も本番である。
今年の祇園祭は日照りのようだ。天神祭りもさぞかし暑くなるであろう。

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可愛い織部(瀬戸織部かな?)の香合を手に入れた。
新しくはないが時代のあるものでもないだろう。
(・・・というお値段だからして。)
まぁ、高くても安くてもよいのである、好きならば。
織部にはこのような梅文が描かれることが多いけれど、
何かいわれのあることなのだろうか?
そういえば、三毛庵の持っている絵瀬戸のお皿@は道真公の図柄だったな。
うーん、一度調べて見ねばなるまい。

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(一辺4cm 高さ3cm)

ちびっこだけど、織部釉もたれっとしていてナイスである。
小さくて四角いやきものって、キャラメルみたいで美味しそうなのである。

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で、香合って蓋がぱかっと開くのがまたうれしい。

織部というと、なんとなく秋のイメージだけれど、
もうじき天神祭りだからこれを飾っておこうかな♪

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オグラセンノウが咲いた。
春に探したときはもう品切れで、松本センノウを植えたのだけれど、
日陰過ぎたのかそちらはあまり調子がよくない。
そうしたら、いつものホームセンターにオグラセンノウを発見、
植えておいたらするするっと花芽が伸びて、昨日咲いた。

花の色も独特だけれど、しべの色も青くて綺麗だな。
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