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2020/01/19.Sun

夜明けを待つ (和ガラス切子電傘)

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朝はまだまだ遅いけれど、冬至からひと月足らず、
立春も近づいて、夜が明けてくるのを楽しみに眺める。

梅に鶯の電傘は、市でみつけて嬉しく持ち帰ったもの。
(電球はいまどきなLED!だけど、コード類は使える状態だったのがまた嬉しく。)
夜が明ける前、ひとりだけの時間に点けて、ちょっと満足したりする。
忙しいとどこか心は干乾びてゆくのであるが、
朝ちょっとだけこんな時間があると、雨上がりの草花のように生き返る。

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ここの細工は松葉かなにかを模しているのかな?
今は何でも手に入る世の中だけれど、このようなものを今作るのは大変で、
ふるものってほんとうもったいないなぁ♪って思っちゃうよ。

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ちょっと夜中に目が覚めてしまったときには、こちらをつけてぼんやりしたりする。
(部屋の明かりをつけるとお金魚様たちが起きてしまいますからね!)
縁あって我が家にやってきたふるものたちは、ちゃんと現役!!
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ものたち | Comments(0)
2019/12/28.Sat

一日が美しい日でありますように (和硝子エナメル彩香水瓶)

クリスマスといえば、その前の土曜日に焼き鳥を食した程度で、
一日を大切に過ごせたかというと自信はないのであるが、
近ごろの極端な論理はあんまりなじめなくて、私などは危急の仕事があれば
できることはすべきだと思うし、家庭に事情があればお互い助け合うことも大切だと思う。
ライフワークバランスなど正解なんてないのだから、一日一日一生懸命生きるしかない。

あーそれでも、誰かを思いやる時間が足りていない自分は少し悲しい。

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これは茶花とは言わないだろうけど、小さなヒイラギを飾った。
常緑のヒイラギに枯れた射干玉、色がさみしいのでランブラーローズのヒップを添えて。
このような花は、日記のような、あるいは詠み棄てる歌のようなものだ。
のんちゃんにはどのように聴こえているのかな、と思うことはあれど。

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小さな香水瓶を飾る。
のんちゃんがガラの中から発掘した三毛庵お気に入りのお宝である。
本当は綺麗に洗えばもっと素敵だとは思うけど、僅かに香るので思いきれないでいる。

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和硝子と言っていいと思うが、エナメル彩の香水瓶は初見である。
よく民芸で取り上げられる、独逸の美しいエナメル彩の瓶があるが、
三毛庵的にはあれに負けじ劣らず琴線にふれるよな小品だと思う。

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この愛らしさはやはり日本だろうとおもうのであるが。

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裏はこのような花が掛かれていて、資生堂っぽい図柄であるが、まだ調べがつかない。
今どきのものは下手すると幼稚なものが可愛いなどと言われるが、
こういうものの幼さ、とうのは幼稚とは少し違うのではないかと思うのであるが。
日本のアンティークの中では、いまのところおおよそ精巧なものが海外で人気を博しているけれど、
KAWAII文化が浸透すれば、このようなうぶな幼いものも海外でも評価されるのではないかと思う。

よくあるのだが、なんとなく気になるのだが、自分の既成の価値観が追い付かないことがある。
あるときそういうものの美しさが腑に落ちるときがあり、それって何なのかな、って思うけれど、
それはやっぱり、自分がどれだけ考えて経験を積んだかに掛かっているのではないかと思う。
それでそういうときに感じる美しさとはなんなのか、っていえば、
何かものを介在して、人の美しいところを垣間見ている気がする。
私の仕事など、世に美しさを問うようなものではないのであるが、善くあらんとして成し遂げたことほど
言わなくとも人に伝わるのが不思議なところである。
だからやっぱり、そのような美しさに気付けるような自分でありたいものである。

遊びにいらしてくださった皆様、本年も大変お世話になりました。
今日の一日も美しい日になりますように、、本年の結びに代えて。

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ものたち | Comments(0)
2019/11/18.Mon

備忘録とか (プレスガラスキャンディボックス)

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渋柿を少しだけ、吊るす。
こんなふうに、やりたいことはたくさんあれど、余力がない。
あまり器用とは言えない三毛庵であるので、日々優先度の高いやつからしていくと、
だいたいブログには辿り着けないのである。
ほんとうは、たまにはちょろっと振り返るための記録ぐらいしたいものだけどなー。
でもまぁ、その時その時で一番だいじなことができていればそれが仕合せというものだ。
美味しくご飯をいただく、ここちよい布団で眠る、、全力で暮せた日のご褒美。

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もっと住処をいい感じにしたい、お掃除もしたいとか思うけれど、
毎日行き倒れて挫折する。
なのでここでも優先順位をつけることにして、、願わくば水廻りを散らかさずに、と。
実をいうとこれはお手洗いの棚なのだけど、水廻りをそれなりに保てば何とはなしに安堵する。
あの、トイレ掃除開運説などそんな神頼みってなんかちゃうやろ、などと思ってしまうのであるが、
せめて水廻りのような汚れるところだけでもなんとかできれば、自己肯定感が増す気がする。

という訳で、のんちゃんがポスターで制作した長谷川りん二郎のタロー様に、
お気に入りの無色のプレスガラスたちを。

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この二つはまだ載せてなかった気がする。
どちらもありそうでもなかなかない、ツウなお品だと思うのだけど、
(現に左はSさんに譲ってもらったけれど、Sさんも気に入っているようだった。)
ウチのトイレを借りる方々には、この素晴らしさに驚くお方はおられないのである(笑)。
右の四角いのは、先客に値切られてへそを曲げていた主から譲ってもらった、
佳いと思えば素直に褒めることも大切である、うむ。

という訳で、水廻り脱生活臭計画についてであった。

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今年植えたノコンギク、清澄野紺菊。
ノコンギク「夕映」の鮮やかさも晩秋によいものだけれど、これはいかにも茶花らしい。
小ぶりで淡い花に黒軸で、庭で楚々と咲いている。
ヤマボウシの要らない枝を失敬。
年々秋というものが失われてゆく、その時々、綺麗だなーって思っておかないと。

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備忘録:
先日は星野画廊さんに藤田龍児展を見にゆく。
(貴重な余力は使うべきところで使わないと。)
いつでも一点ぐらい小品が掛かっていて、星野さんが大切にしている画家なのだとは思っていたが、
過去の自分は、あーきっとまだ私の理解が届いていないのだ、そういう気がしていた。
でもなんとなく、いつか機が熟することがあるような、そういう予感もあったかもしれない。
佳い展覧会だった。(やはり現物を見ないと、ほんとうの良さはわからない。)
半身不随になって絵筆を持ち替えた後の作風は、一見素朴派だけれど、違うと思う。
体の自由を失って、精神の自由を得たというべきか。
(倒れる前の、日本の伝統を踏まえた鬼気迫る作品ももちろん素晴らしかったが。)
精神は自由、周到に練られたであろう巧みに隠された作為、
素直に楽しむこともできるし、いつまでも眺めて考え込むこともできる。
佳い絵について、その画家の生き方を強調するのは精神論のようで好まないけれど
(不染鉄について、やたらと心の磨きようを強調するのには少し違和感がある。)、
でもやはり、絵というものにはどれだけ鍛錬を積んだかとか、
どれだけ描くことに熱意を燃やしたかというような、見えない部分が現れると思う。
絵を見て、そのとき画家が思ったことなど分かろうはずはない、と洲之内徹も書いていた気がするが、
それでも、心が動くということには理由があると思う。
見た人が感じ取れる何かのためには、その何十倍、何百倍ものエネルギーが必要だ。
目に見える部分の下には膨大な根っこがあるのだ。
だから、根っこの中のひとつ、日々画家がどう生きたか、というやつが養分を吸い上げて、
それが絵となって咲いているのを垣間見ることはあるのかもしれないけれど。

私にとって佳い絵というのは、一体どういうものであろう、と折に触れ考えてみるのであるが。。
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絵のこと | Comments(0)
2019/10/17.Thu

ニコイチのことと (プレスガラス覗き猪口)

手に入れてから密かに浮かれて、ずいぶん経つ気がする、、

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プレスガラスの小さな覗き、おいしそうなほんのり昔色。
ガラスに興味のない人から見ると、こんなものが?と思われるかもしれないが、うれしかったのだ。
硝子で覗き、というもの、ないと思うんだけどな。
まぁ、数がなければよいって訳じゃないけど、酒徒憧れの筒と言えなくもなく、
何よりプレスガラス好きにはこの塊感がゴキゲンなのだ。

それに何よりうれしかったのは・・・

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晩酌セットができちゃったことなのだ♪

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大きいほうを見つけた時もここ@に書いたが相当浮かれたんだけど、何しろたまたま遭遇したもので、
もうひとつあればなーとはちょびっと思った。
そういう、あるかもしれんけど追っかけるのは間違いのようなことって、
ちょっとだけ望んだらあとはもう忘れるが吉なのだ。

そんな訳で、忘れたころにこういう、ありそうでないものがあるSさんのお店
(Sさんのお店は正統派の骨董のよいものだけでなく、マニアゴコロを擽る、
あれっと思うものが密かに置いてある。)でこれを見つけたときはびっくりした。
もちろん、しっかりしたお値段ではあったが、Sさんの値付けは
ものがわかってつけるにしてはいつも良心的だと思う。
大きいほうを見つけたときはガラ扱いであったので、内心どきっとしつつも
平静を装ってしれっと買った意地悪い三毛庵であるが、
それは勉強しているほうへのふるものの神さまからのご褒美というものだ。
だからちゃんと払うべき時は払うのが世の掟である。

それにしても、硝子覗き猪口シリーズは何で貝文(しかも三面違う!)なのかな?

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という訳で、せっかくニコイチになったので、箱に入れてあげようとこの度思った。
この箱の入手というのもおかしな感じで、催事に来る箱屋さんに頼もうと思ったのん。
なのに当日慌てて現物を持っていくのを忘れ、しまったなぁ・・・とみるとこれがあった。
普通、ニコイチの箱など注文しかないのだけど、聞くと頼まれたものがサイズが違ったとの由、
合えばお買い得なのだという。
筒のサイズも確認していなかったのだが、タイミングよく出てきたのはこれでいい、ってことかなぁ、と思い持ち帰った。
実際のところ、上手に布を巻いて、高台を上にすれば収まっている?というナゾである。

結局、この筒たちはこうやってニコイチになりたかったのかなぁ。

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庭の花もそろそろ終盤で、ホトトギスが咲き始める。
ホトトギスも白いシモバシラも地味な花だけれど、秋に似つかわしい花である。

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勝手に育った糸薄が庭の一隅を素晴らしくしている。
(と思っているのはどうやら私だけのようであるが。。)
綺麗だな、と思うけれど、、いまだに全貌の掴めない台風の被害に何を言えばいいのだろう。
このような日常も決して当たり前ではない。
道端の草がきれいだとか、ご飯が美味しいというようなことを、
誰もが感じられる暮らしであってほしいと願う。
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ものたち | Comments(0)
2019/06/30.Sun

いつか忘れて了うまで (和ガラス籠目一輪挿し)

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梅雨の中咲く二番花は、たぶんよそ目には地味なのだろうけど、
咲くと喜ばしいのである。
多少ぼろっちくなった花でも、おしゃれなアレンジメントよりも綺麗に見える不思議(笑)。

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ガラスの籠目の花瓶、このような時代の、盃になる小さなコップだと評価が高いものである。
花瓶だと手が届くものが多く、また庭の花向けの小さいものが多いのもありがたい。
こういうガラスだと乳白が思い浮かぶが、半透明のグリーンである。
花を入れるとき、葉っぱのグリーンと被って難しいかな?ともちょっと悩んだ。


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でもこんな風に、ばら色のばらによく合うと思う。
ばらの葉っぱはところどころ疎らについているだけなので、
ガラスのグリーンと合わせてもさほど被らない。

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花瓶敷きも可愛い刺繍のデッドストック品。
どれも他愛のないものだけれど、他愛ない、ということはありふれたことではない。

ましてや、過去に生産されたものなど、もうそこに戻ることもない。
人もものも、いつの日か失われていくものだから、
その日その日を記憶にとどめておくほかない。
それもいつかは忘れてしまうにせよ。

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