2013/11/30.Sat

蚤の市的 (油彩婦人座像)

展覧会の後、見てきたものを骨董屋で買うというのは鴨葱である。
それはまぁ分かっちゃいるのだけれど、何となく目が合うのである。

煤けた小さな絵・・・というよりもお値段からして古い額ブチを買った、
というべきか。(額縁のほうが立派なのである。)
ほこりを被った絵肌もそれほど高そうな絵具には見えない。。
だいいち、絵が可笑しなことになっている。
椅子に腰かけた婦人の図であることは分かるけれど、手足が
あっちいったり、こっちいったりしているではないか。
この絵に?とは思いつつも、それでも余り不信感を持てないのは、
常日頃、所謂「上手く描けてる絵」というものに懐疑的なせいだろうか。
だけど、もっと忌むべきは下手を装った絵で、骨董でもままあるけれど、
得てしてそういう方が、危険なのである。

そういう訳で、ヘタレ「風」はやだなぁ・・・と迷ったけれど、
「額縁を買った」と思ったことにしてせっかくなので連れ帰った。
というのも、そんなふうに真剣に迷った時というのは、
実は自分とウマが合うものだったりするからだ。

理屈では説明のつかない、「もの」との縁というか相性というか・・・。
真っ当に買ったものが、案外自分に余所余所しかったり、
どうしようか、と思ったものが、実はとても愛着が持てたり、、、
その違いが何処にあるのか、それが分かれば合理的なのだけれど。

そんなにあざとさは感じないんだけれどなぁ。
木製の古びた額縁とくすんだトーンながら補色を使って
メリハリ良く描かれた絵の対比が、なんというか、
蚤の市の隅っこに立て掛けられた愛すべき小品のようで・・・。
美術的な価値云々よりも、それ自体が静物画の題材になりそうな、
そういう「もの」としてのマチエールを感じたのかもしれない。

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さて、帰って埃を拭い、ちまちまと小さな古物を並べた棚に
これもちょこんと載せてみると、不思議とずっと前からそこに
あったかの様なのだった。
微笑ましくがらくたの魅力を放っているのだけれど、
隣に並んだ牧野邦夫の椅子のデッサンと
さして喧嘩することもなく、居心地良さ気なのが不思議である。
がらくたなりにお気に入りになってくれるとよいけれど。。

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(額縁の幅24.2cm/絵の幅10.2cm)
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2013/11/28.Thu

ちょびっと記録 (青磁豆香炉)

なかなかまったりする時のない、今日この頃。。
まぁ、土日に自ら展覧会巡りとか入れるから悪いのだけれど。
昼間家にいないので、撮り溜め画像を出してみる。

20131113 029

何ということもない青磁の香炉なのであった。

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チビが取り柄である。(直径3.2cm/高さ2.9cm)
こんなちびっこ、何のためにあるのかなぁ・・・。
そういう私は、小さいものは何かになるような気がして、
ついつい連れ帰ってしまうのである。
何か、って例えば茶籠用にとか、そんな妄想ばかりである。

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裏もいかにも香炉風なのである。
自慢にもならないようなものをちまちまと蓄えるのであった。

備忘録)展覧会に行った記録

11月17日(日) 古三田焼と九谷焼(石川県九谷焼美術館)
11月23日(土) 香山小鳥展(和歌山県立近代美術館)・・・記載済み
11月24日(日) 竹内栖鳳展(京都市美術館)
          ・・・書く暇がない!猫可愛ゆす、さすが京都のお師匠はん
          オマケで並河靖之七宝記念館
          オマケじゃなく星野画廊
          柳宗悦展(滋賀県立近代美術館)
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2013/11/23.Sat

坂の上り方 (和歌山県立近代美術館「香山小鳥:ゆめの日のかげ」)

20131123 002

坂道の上り方を教えないと・・・と私のことを亡くなった父が夢の中で
そう言っていたそうである。
したいことをどんどん実行していたらすっかりエネルギーを切らしてしまい、
今週は心身ともに参ってしまい、全く大人げないのであった。
分かっているんだけどね、体力ないんだから余力を残さないといけない、
後先のこと考えないといけないと・・・。
だけどなぁ、したいことはしたいときにしないと、ってつい急いでしまうんだ。
父だって、病気になってからだっていつもせっかちに歩いてた。
だいたい、子供の頃連れて行ってもらった登山では、子供の足のことなど
考えてもいないような登りっぷりだった。人のことは言えないはずだ。

そんな訳で、朝沢山眠ったので、「終わってしまうから行かなくちゃ!」
・・・生き急がざるを得なかった香山小鳥の展覧会。
和歌山県立近代美術館で12/1迄、「香山小鳥:ゆめの日のかげ」。
創作版画家の先駆けで、月映の田中恭吉に影響を与えたという香山小鳥。
いつかみたいと思っていた。
和歌山県立近代美術館は創作版画のコレクションが秀逸で、
昨年は田中恭吉の展覧会があった。
このふたりの版画家は結核であまりにも早く亡くなっている。
香山小鳥の死を悼んで田中恭吉が作品を保存し、その田中恭吉も
結核で亡くなって、ふたりの作品を恩地孝四郎が保存した。
恩地孝四郎のご子息が恭吉の郷里の和歌山にこれらを寄贈したために、
今私はこれら珠玉の作品を見ることができる。
戦争を挟んでこれらを遺すことは並大抵のことではなかっただろう。
恩地孝四郎は凄い人である。

香山小鳥を何で知ったのか、もう憶えていないのだけれど、
殆ど葉書しか残っていないほどの小鳥の作品は、思っていた通り、
こころの隅っこがきゅっとなるような、小さな宝物のようだった。
田中恭吉が植物の様なら、香山小鳥は名前の通り小鳥の様なのだった。
(実際、小鳥の描いた葉書には、愛らしく飛び交うツバメがいる。)
小鳥の代表作といえる「深川の冬」、個人蔵なのだそうで羨ましい。
作品の説明をするのはあんまり得意ではないので、興味のある方は
他サイトを検索ください(笑)。

小鳥の歌
生くといふわがよろこびは窓玻璃の小さき羽虫のふるへにぞ似る

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さて、コレクション展のほうも好物ばかりで。。
「田中恭吉とその周辺の絵画」
田中恭吉は版画やペン画だけでなく、油彩も佳いものを遺している。
大正と云う時代そのもののような彼、色彩も大正なのだ。
「バラの刺」茎から取ったバラの刺を顔中にくっつけた愛らしい少女。
子供の頃、母の実家の園芸店でそういう悪ふざけをしたことを思い出した。

「和歌山ゆかりの作家と近現代の美術」
欲しくなるような小さな苺の絵があって、ルノワールみたいに幸福な絵だなぁ、と
思ってみたら本人作で、隣に弟子の梅原龍三郎が掛かっていた。
ヴラマンクの横には佐伯祐三、となかなか気が利いている。
日本のものも本場のものも並べた展示って、おもしろい。
(海外から借りてきた作品を並べた展示には人が群がっているけれど、
ここ和歌山は祝日なのに人も少なくて、勿体ないことであった。
これが東京なら並ばなければ見れないので、私にとっては幸いだけれど。)
そういえば佐伯祐三の「下落合風景」が掛かっていて、
確かにパリの作品よりはぐっと地味であるけれど、これ見よがしな
ところもなくて、世間でいうほどそんなに悪い作品ではないように思えたな。

さて説明にもなっていない展覧会報告はこのへんで・・・。
おまけは何の関係もなくこちら。。

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あけてみる。。

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(直径4.5cm)

シルバーのピルケースで、某百貨店の催事で赤札だったもの。
(古物の赤札っていうのもよく分からない気もするが。)
百貨店でも隅っこのものを掘り起こしている私である。
本来の用途で旅のお供にするのも洒落ているけど、例えば香合にするとか
金平糖入れにするとか茶箱組みになったりして?などと妄想するのが
得意なのである。
西洋アンティークにもつい和骨董的視線を向けてしまうのであった。







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2013/11/13.Wed

隅っこで (古伊万里白磁輪花豆皿)

目立つのは、いつもどうも好きではなかった。
子供の頃は、学校で手を挙げて答えるなんてことは一切なく、 
当てられてしぶしぶ・・・というのが精いっぱいなのであった。
そのくせ自尊心はいっぱしで、自分はちょっと違うのだ、などと
根拠もなく思っていた、要するに可愛くはない子供なのであった。

さて、いいトシしてくると、人は一度身につけた社会性を、
本性に従ってだんだんとまた、放棄するようである。

気づいてみると、身の回りのふるいものたちは、いつも隅っこに
隠れていそうで、それでいて自分はちょっと違うのだ、などと
言いたそうにしているのが、なんだか可笑しい。

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ちびっこな輪花にヨワい・・・「ちょっと違う」感をくすぐられる。
こちら@と似ているけれど、今度は古伊万里なのだそうである。

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白磁は色が上手く撮れないなぁ・・・むらむらの釉薬がよいのだけど。

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(7.5cm)

チビでも裏まで抜かりない。
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ものたち | Comments(0)
2013/11/09.Sat

しみったれコレクションと (「生誕110周年 三岸好太郎展}

テレビでカウンター形式の靴磨きの職人の話をしていた。
偶然なのだけど、先週末旅行に出る前空港で、初めて靴磨きをしてもらった。
自分で磨かないのは怠慢だけれど、靴を下してそのまま旅に出てしまい、 
気になっていたら、靴磨きのコーナーがあった。
プロにしてもらうと綺麗になるんだなぁ・・・といたく感動し、
旅行のあいだ、ずっとぴかぴかの靴を眺めては足元が軽い心地がした。

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さて、土曜日に秋田から夕方そのまま千歳へ飛び、小樽で一泊。
翌日は札幌の三岸好太郎美術館で「生誕110年 三岸好太郎展」を観る。
三岸好太郎は31歳で夭折したので、長生きした妻の三岸節子より作品数も少ない。
市場での流通量が少ないので、評価は高くとも一部の人を除けば
認知度は節子より低いだろうか???
作品の完成度においても、平均的には好太郎はまだ発展途上であったかもしれない。
でも私は好太郎が好きだなぁ・・・。
(好太郎の作品をまとめて見れるのもひとえに節子の苦労のおかげである。)
今回は、生誕110年ということで、福岡市美術館から「海と射光」、
東京国立近代美術館から「雲の上を飛ぶ蝶」も来ていて、控えめな図録の
表紙と裏表紙を飾って印象的である。
図録の解説に苫名直子学芸員が、好太郎の画業の転機の前には
故郷の札幌への長期滞在があると指摘していたのが興味深かった。
好太郎は当時の美術界の大きな流れ、フォーヴとかシュルレアリズムとかに
敏感で、そういうところでその頃は反発を買ったりしているけれど、
過去となった今の時代から振り返ると、様式に何を用いようとも、
彼の表現しているものは一貫してポエトリーで、生き急いでいる分、
それが直截的だと思うのだ。
もちろん彼にも綿密な思想があって、それは図録で読むと先鋭的であるけれど、
それを表現するときには、頭でなく、眼で、あるいは体で描いている。
理論は必要だけれど、絵は見る「もの」であって理屈ではない。
それを思うと、やっかいな画壇から離れて、故郷の札幌に滞在することで、
表現の純度が増したというのはうなずけるような気がする。
「海と射光」は日本のシュルレアリズム絵画の代表と言われる。
私には難しいことはわからないけれど、ただ一篇の美しい詩だと思う。

ところで私は自称「三岸好太郎の色紙」を持っているのだが、
いつも算段には苦しんでいるので、他所様から見ればしみったれた
コレクションである。
油彩などは少しだけで、あとは素描・墨彩のようなものなど・・・。
素描は元から好きで、洲之内コレクションを見てますます好きになり、
私もしみったれなりに佳いコレクションにしようと心に誓ったのであった。
とはいえ、洲之内コレクションの画家を集めようとは思わない。
もちろんゆかりのある画家のものもないこともないのだけれど、
洲之内徹が生きていたら、彼に「これが私です」と言えるコレクション
であることが、本当の意味で彼の理解になるのではないかと思うのだ。
でも三岸好太郎は、彼が靉光と並んで最初に展覧会をやりたかった画家
である。彼ならなんと言っただろうか、と時々考えてみるのだけれど。。

あまり本来の色が出ているとは言えないけれど、フラッシュなしでの
撮影OKだったので、少し撮ってきた。

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「海と射光」

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「のんびり貝」

さてモノローグのような絵が好きな方、宮城県美術館では
「洲之内徹と現代画廊 ―昭和を生きた目と精神―」が始まりました。
必見!!ゼッタイいくぞぉ~
(12月23日まで、1月25日(土)~3月16日(日)からは
愛媛県立美術館と久万美術館へ巡回)
それにしても生前宮城とか松山とか、とかく洲之内に不評?であったところが
展覧会をするのはおもしろい。まぁ愛憎は表裏一体なのかもね。)



続きの画像はこちらでどうぞ↓
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絵のこと | Comments(0)
2013/11/04.Mon

汽車旅について (藤田嗣治展)

20131104 018

ほらもう時間ないよ~!
旅先でちょっと時間が空いたので、またまた骨董屋さんを覗いていたら、
のんちゃんからお声がかかった。
考える間もなく慌てて持ち帰ったのはごく普通の印判の膾皿・・・
なんだけれど、小っちゃくって可愛かったんだなぁ♪
ほんの10.5cmほどなのです。
こんな小っちゃくて、膾皿としての用途があるのか?
秋田でのこと、骨董屋の女主人が「この大きさの三平皿は珍しいの。」
と言うのを聞いて、「三平皿」という言葉の響きに魅せられた。
そういうほんの一瞬に、あぁ旅なんだって思いがかすめる。

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菊と芭蕉と氷裂に梅文。

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小さくっても高台がしっかりしていて、おトクな感じ。
これが掌に載るものだから、旅のお供になってしまうのであった。

若い頃、よく日本海側を走る特急「白鳥」に乗っていた。
ちょうど今のトワイライトエクスプレスが走る時間帯を走っていて、
日本海の夕日など、ぼーっと眺めたりしていたものだ。
特急と言いながら、リクライニングもしない座席で、
出稼ぎのおっちゃんに鮭弁をごちそうになったこともあった。
あの頃は、本当に秋田は遠い所だった。

この度は、当然飛行機に乗ったのだけれど、遠くに富士山が見え、
それから南アルプス、御嶽、すぐ下には雪を被った白山も見えた。
北陸では、遠くに神々しく遠くに坐する白山がこんな風に
見えるんだ・・・ご神体だから、なんだか不遜であるような気もして。。
そんなことを思ってしばらくすると、鳥海山が見えてきて、
あぁ東北に来たんだなぁ、って、気がつくのであった。

秋田へは、久しぶりにフジタを見に。

(飛行機の中、洲之内徹の気まぐれ美術館シリーズ「セザンヌの塗り残し」から
「藤田嗣治の魅力について」を読む。
この間見たフジタの静物画の小品について、、美術館から持ち帰りたい
衝動に駆られた、と書いてある・・・同感!
洲之内徹がエンターティナーのフジタを否定しないのはすこし不思議なようだけど、
絵を描くことは抜群に器用、生き方のほうも一見器用でいてじつは結局不器用で、
絵を描いていればいいという、「絵描き」だったからかななどと思う。)

さて、大作「秋田の行事」を中心に、フジタの1930年代の作品を
秋田県立美術館で見ることができる。
最近、老朽化のため美術館が建て替えになって、「壁画<<秋田の行事>>からの
メッセージ」と銘打った展覧会を開催していた。
美しい裸婦を描いた乳白色の時代を経て、南米を経て日本に戻った、旅の時代。
この時代の圧倒的な人物描写を経て、あの戦争画を描いた。
(そういえば、子供の頃に本でフジタの戦争画を見た記憶があって、
絵にもこんなに暗くて恐ろしいものがあるのかと思ったことを覚えている。)
そういう意味で興味深い時代の作だ。

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安藤忠雄設計の美術館からは向かい側に、昔の平野政吉美術館が見える。
(下画像の右の建物)
以前ここにフジタを見に来たときはとても空いていたけれど、
この日はたくさんの人。

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一階に、レオナール・フジタと秋田の繋がりに関する資料類。
フジタが来秋したときの記録が幾つか残っていて、それには
昭和11年7月11日とあった。
やっぱり、4番目の妻マドレーヌが亡くなってフジタが秋田へ行ったのは
その頃だったんだ。。
(そのときのことについては、こちら@に書いた。)

旅慣れた彼にとって、秋田行きのこの汽車旅はどんな旅だったのだろうか。
(さっぱり展覧会の説明にはなっていなくって申し訳ない限りだけれど、
私にとってはフジタの「旅の時代」を確認するという、
そういう「旅」の記録なのであった。)

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2013/11/01.Fri

早朝覚醒で (和ガラスの小物)

ロングスリーパーの私であるが、本日早朝覚醒。。
このまま元気に一日過ごせるのなら良いけれど、きっと眠くなるよなぁ。
お腹が減っていたので、村田森さんの大きめのマグカップでカップスープ。

早朝覚醒には少しだけ恐怖がある。
鬱の時にやっているからだ。(早く起きれるのだからよいというものではない。)
今こころのなかにちょっとした引っ掛かりなど、思い当たる節があれば猶更である。

私はそんなに頭の回転が速いほうではなかったせいか、
鬱になる前は、とにかく納得するまで考え抜かないと気が済まなかった。
それはそれなりの成果ももたらしたけれど、最終的に脳ミソがストライキを
起こしてしまい、まったく何も考えられなくなったのであった。
なので、今は例えば家から帰ったら仕事のことは考えない、というような
「努力」をしている。
人生には寝食を忘れて働くべきときもあろうけれど、そうしないことも必要だ。
それから、反省もしない「努力」もしている。
反省から生まれるものも大きかろうけれど、誤解を恐れずに言えば
反省から何もよい結果がもたらされない、そういう人もいる。
色々な「かもしれない」ことに気を取られて消耗するのが悪い癖である。
という訳で、世間様の言う「自己啓発」とか「成長」とかいうことからは、
どんどん遠ざかってゆくのだけれど、今を生きているという心地がするのが
取り柄のようである。

片々たる蚤の市的がらくた。(ピンボケでした。。)

ガラスの小さな香水瓶。
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化粧水の瓶に目薬瓶、丸薬?の瓶(オマケで頂戴したものなど。)
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リキュール杯
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今を生きることに集中して!?せっせとがらくたを集めていると、
人ってコドモの頃からあまり成長しないんじゃないかと思う。
それでも、当時綺麗だな、と思ったようなものが今も綺麗に見える
というのはやっぱり幸せなことじゃないかなとおもったりする。

先日のウィローのお皿にベーコンを載せた図。
20131101 001

あぁ・・・なんだか今頃眠くなってきたような。。

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