2016/02/14.Sun

モランディ展から (白磁ミニチュア人形)

会期も終わりのモランディ展へ行く。
片付けが済むまでは、と楽しみにはしていたけれど、
想像以上に素晴らしかった、、というか持って帰りたくなった。
なかに大阪の方の個人蔵というものもあり、心底うらやましく(笑)。
これから東京ステーションギャラリーと岩手県立に巡回するそうで、
なるほど、絵好きの行く美術館だなと、ナットクした。
私はモランディを意識したのは長谷川潾二郎からという、
ちょっとおかしな順序を辿っている。
それはともかくとして、 モランディは描写する
静物の形が素晴らしいので、図録だけでも見る価値はあるかもしれない。
でも、絵というのは現物を観ないとはじまらない。
モランディの土壁のような絵の具の色とマチエール、
それがものとしてそこにあることを幸福だと思えるのは、
実物を見るからである。
親しい人に贈るためにしか描かなかったという花の絵など、
あれを贈られたら天にも昇る心地だろうな。

モランディのものの形と光からなにかを捉えようという静かな情熱、
ああ、そうだなぁ、って思う。
骨董も同じようなことで、ものの形から、なにか揺るぎないものを
捉えようとああでもない、こうでもない、と
取っ替え引っ替え買っているようなものである。
ものが好きな人がモランディを好むのは、モランディの絵が
「もの」として素晴らしいだけでなく、また、形の描写が素晴らしいだけでなく、
その、ものを見ることで知ろうとする情熱に共感するのではなかろうか。
(少なくとも私は。。)
でも、今自分がもがいていることなど、
モランディがとうの昔にしたことなのだ。
骨董界にもニューウェーブなどあったりするけれど、
モランディを見ていると、それが新しいとは言えなく思えてくる。
実際、なかには判を押した様なニューウェーブなどもあったりして、
昔の古伊万里ブームみたいで、なんだかちょっと薄気味悪いときもある。
私自身、自分のスタイルを貫くのも右往左往なので、
骨董ってそういう一筋縄ではいかない世界なのだろう。

さて、モランディに行って私が一番どきっとしたのは、
先日での旅先での買い物のことである。
地元のものが欲しかった私は苦心惨憺、地味な徳利を購入。
ホテルのサイドデスクにちょこんと置いて、
なんとも音楽的であるなあ、などとぼんやり思った。
そうして、アンティークショップで見つけた白磁のミニチュア人形を並べて、あ、と思った。
照明に照らされて、お人形の白磁は徳利のグレイッシュな肌に呼応した。

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どういえばいいのか分からないけれど、そのときちらっと
徳利や白磁のお人形の秘密が見えた気がしたのだ。
あぁ、こういう秘密に近づきたくて、自分はもののかたちをああでもない、
こうでもない、と取っ替え引っ替えしているのではないのだろうか。
そんなふうに不思議に思ったそのあとに、
モランディを見たのは偶然だったのだろうか。
白磁の小さなお人形はドイツあたりのものらしいのだが、
何というのが正解かはよくわからない。
手足が一体化した白磁から、フローズンシャーロットと呼ばれる部類かも
しれないけれど、そういうものは大体においてバス用に服を着ておらず、
このお洋服を着たものもそう呼ぶべきかは謎だ。
ペニードールという呼称のものもある様である。
いずれにしても、気軽ながらくたである。

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スカーフの色に差した赤が徳利のグレイに映えている。
そんなのを眺めながら、モランディを観て、
あぁ、あのとき不思議な心地がした、そのようなことを
彼も描く都度経験したのだろうかとおもうのである。

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