2016/04/23.Sat

鉄斎とスフィンクス (富岡鉄斎展&初期赤絵唐草文小皿)

鉄斎展へ行く。
予想通り、絵が好きそうな人しかいなくてホッとする。
「教養」とばかりにやってきて、絵なんかちっとも見ずに
しゃべってる人とかいっぱいだったらやだものね(笑)。
「万巻の書を読み、万里の道を徂き、以て画祖をなす」 とあった。
いっぱい勉強して、見て聞いてなきゃ、はじまらんよ、ってとこか。
鉄斎翁からみれば洟垂れ小僧にも入らない三毛庵でも、
ただぼんやり過ごして自分の目と耳を使ってこなかったら、
鉄斎の真価にはちっともたどりつけないだろうと思う。
吉野の桜、月ヶ瀬の梅渓、今も匂うような経験があるから、
鉄斎の画の偉大さを少しは感じることができるのだ。
トシは取るものである、経験を積んでこそわかる美しさというものもある。
それにしても、当時の日本や鉄斎翁のこころ、
今はもう失われてしまったものの輝けることである。

帰ってきてちょっとはマシなご飯を食べ、やっぱりからだはしんどいので
ごろごろしながら、版画を眺める。
『棺の上のスフィンクス』アルフォンス井上の蔵書票など。。
少女のスフィンクスが棺の上で本をめくっている。
(画像は探してみてくださいませ。。)
鉄斎とは真逆な風な世界であるが、眺めてこころが洗われる。
鉄斎の画など理解も出来なかったような頭でっかちの頃、
例えばホフマンの『黄金の壺』を読んでドイツロマン派に傾倒してみたり、
渋澤龍彦の美しい装丁の本に魅了されたり、本があればマンゾクだった。
この可愛らしいスフィンクスを見ていると、そのときの本の世界が
今も匂い立つようで、あのころ読んだ本の大半は忘れてしまったというのに、
鉄斎翁の言う通り、万巻の書は読むべきだなと思うのである。

というわけで、何の画像もないのは寂しいので・・

IMG_1051.jpg
(径10.6cm)

初期赤絵の小皿、、全く本文とは関係ない(笑)。
買わないで何か言うのはたやすいけれど、そんなのまやかしだ。
何か言いたければ買うことだ。
絵だって一緒、見るのはカンタン。でも経験するのはカンタンじゃない。

IMG_1052.jpg

買ってみて、手許でこうやって小皿を眺める、そういうものを
経験というのだもの。
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絵のこと | Comments(0)
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