2016/09/03.Sat

遺るもの (切込焼色絵桃文豆皿)

仮住まいも終盤に差し掛かり、あれやこれやと用事があったり、
仕事もそこそこ忙しかったりで淡々と暮らす日々である。

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それでも、美味しいお茶にほっこりするお菓子など、
スキマ時間の充実には余念がない。
間髪入れずに台風がやってくるので、体調もまあまあ悪いのだけれど、
休日にましなご飯を食べれる、とか、そんなんでも気分は十分満ち足りる。

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へぇ、こんな柄があるんやなぁ、と色絵くらわんかかと思い、手に取った。
聞くと切込焼の色絵なのだという。
確かに伊万里や波佐見とは違った様な、
野趣のある様な磁土なのだが、素人には判別の難しいものである。
何であれ、溢れんばかりに描かれた桃にときめいた。

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こういう絵の描けた時代の「豊かさ」について考えてみる。
今の感覚からすると、厳しい時代だったはずなのだが、
こういうものを見ていると、なんだかよく分からなくなる。。

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(径7.8cm)

裏面。この一枚は砂がついていた。

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5枚あって、なんだかたからものだなぁ、、とうれしくなる。
桃の茶壺@に浮かれていたころに出会って、
桃の神さまの思し召しか~と思ったりした。

その頃に急須研究に没頭して買った急須のひとつと、
なんとなく気持ちが通じるというのか、そんな感じでいた。
使い勝手がよいとか、そういうことなんだろうと思ったけれど、
作り手とこころが繋がるような気持ちだった。
先日、その作家の方が亡くなられたと知った。
もうここにはこの急須しか残っていないことが、空しかった。
だけど、急須は今もここにあるのだなぁ、と思うと
何かすこしだけ救われる気がする。
「もの」というもののありがたみである。

<備忘録>
藤田嗣治展へゆく。
美しい絵と、戦争画を見た。
フランス人として亡くなったのに、「藤田嗣治」展である。
そうなったことについて、誰も責任を取ってもいない。
でも、時間が彼を呼び戻した。

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