2011/02/06.Sun

本のこと絵のこと (洲之内徹)

近頃また古漁りが楽しい私。
新刊も気をつけて見るようにはしているのだけど、
あることが気になって探求をするときには、やっぱり古
地層のように幾重にも堆積した、見も知らぬ人たちが生きた証左を、
掘り起こし、めくっていく愉しみ・・・。
電子ブックの時代になると、どうなるのかなぁ。。。
いつか、自由自在に自分が興味のある文献を検索できるようになり、
図録も紙よりずっと美しくなり、夢でも見るように
ここちよく、そして現実以上にリアルに感じ取ることの出来る、
そういう時代になっていくのかな。
それはそれで喜ばしいことだけど、古書店に立ちんぼして背表紙を眺め、
取り出してパラパラとめくって好ましいかをチェックして、
指先から紙の感触と共に文章が流れ込んでくるような感覚を味わう、
そういう至福の時はやっぱり捨てがたい・・・。

とはいえ、ネットでの古検索や購入、便利ですよね~。
お値段とコンディションを秤にかけつつ一冊を選び、
家にいながらほしいを手にできる。
ということで、最近買ったのはこちら・・・
blog 6675

洲之内徹が芸術新潮に「気まぐれ美術館」を連載するきっかけとなった、
最初の絵についての随想!?「絵の中の散歩」(1973年/新潮社)。

それから、彼がなくなって彼の現代画廊が閉じてしまってから、
画廊とゆかりの深かった人たちが、彼と画廊について文章を寄せた、
「洲之内徹の風景」(「回想の現代画廊」刊行会 1996年/春秋社)。

私が気まぐれ美術館シリーズを読むようになったとき、
とうの昔に洲之内徹は亡くなっていて、もうこのは絵について書かれた
『古典』といっていいものになっていたと言える。
よいは、著者が故人となってからも、を開けば対話することが出来る。
白洲正子が私にとって、日の文化を生きる上でのせんせいであるように、
洲之内徹は私が絵と暮らす上でのせんせいなのだ。
というものの有り難さ。。。(一介の読者でも勝手に生徒になれる!)

私が絵というものを身近に引き寄せて、個人的な体験として見るようになったのは、
不染鉄という日本画家の絵に出遭ったのがきっかけだったのだけれど、
そのときに浮かんだ「絵とは何なのか」という問いについて、
書かれているものはなかなかなかった。
洲之内徹を読んで初めて、自分の受けた衝撃と驚きこそが「絵を見る」ことだと
理解できたのだった。

さて、そんな訳で、洲之内徹の「気まぐれ美術館シリーズ」を持っている私は、
その中の1冊目に所収されている「絵の中の散歩」を買う必要はなかった。
でもこの記念碑的作品の、当時出版されたものを手にしてみたかったのだ。
大切にハトロン紙にくるまれ、当時の書評も挟んであった本。

もう一冊の本は、多くの画家など、実際に洲之内徹が師であったりした人々の回想。
同時代を生きた人たちの回想は、彼が書いたものを読むしかない私には
大切な証言・・・。
画家の中には苦しんだ人もいるけれど、画家も画商も本気で格闘したのだと思う。
女性遍歴のことも含めて、洲之内徹はそんな(いい)人じゃない、という
人もまたいたというけれど、
白洲正子の言うとおり、それは枝葉のことで今となってはつまらないことだ。

そんなことより、洲之内徹があれほど絵を必要とし、深く耽溺したのは、
やはり彼の戦中の壮絶な経験を抜きには語れない。
そんな彼の言葉を、のほほんと生きる私が「わかる」というのはおこがましい。
それでも「人には希望が必要だ」ということを痛いほど味わった後で
絵がきらきらとしていることにある日はっと気づいた私は、
やっぱり洲之内徹は私のせんせいだといいたいのだ。
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