2011/06/29.Wed

1936/7/10 zMlle Tomiko (藤田嗣治 婦人像素描)

blog 6725

祝廿春 誕生日 十一年七月十日 秋田行汽車中 嗣治 Foujita
zMlle Tomiko
と書き込んである一枚の古い紙切れ・・・。

ある場所でこれをみつけたとき、「どうしてここにこんなものが?」と思ったけれど、
どうしても惹かれて仕方なく、一度は帰ったもののやっぱり気になり戻るとやはり「良く」、
困り果てた挙げ句、決心して持ち帰った一枚。

「Mlle」はマドモワゼルということらしく、あたまの「z」は良く分からない。
もしかして「マドモワゼル富子へ」ぐらいの意味だろうか。
(フランス語に堪能な方、お教えください。)
この肖像の女性は富子という人で、姉妹で秋田の温泉に行く汽車中で描いてもらった
と、この女性の妹さんの古いメモ書きが添えてあった。
最初に見たとき、パリジェンヌでもなく猫でもないこの素描に、「あぁ、なんてこのひとは
昭和の日本女性なのだろう。」と不思議な感覚を持った。
後で知ったことだけれど、この頃の藤田は、戦争前の恐慌でパリを離れて南米を旅し、
日本に戻った「旅の時代」で、ちょうど各国の文化やモンゴロイドなどの人種を写すことに
熱心だった頃だった。
最初に感じた印象は、おそらくそういうことが関係しているのだろう。

「作品」として描かれた肖像の、面相筆の細く流麗で張りのある線とは違い、
乞われて手持ちの鉛筆(藤田は暇さえあればデッサンしていたらしい)で描いたこの絵は、
藤田の描写力はそのままだけど、とても注意深く、そしてそっと用心深い。
二十歳の誕生日だという富子というこの女性のために、丁寧に写し取ろうとしたのだろう。
眺めていると、人がよく、サービス精神旺盛だったであろう彼の気配をかすかに感じる。

持ち帰ってしばらく眺めていたある日、ふと思い立って藤田のことが書かれた本を買いに行き、
年譜を見ていてあ・・・と思ったのは6月29日のことだった。
この年、1936年(昭和十一年)の6月29日は、彼の4番目の妻、
マドレーヌが日本で亡くなった、その日なのだった。
お人良しで絵を描くことの他に関心のない彼は、預金を全てマドレーヌの名義にしていたから、
そのとき葬儀をしようにもお金がなかったそうだ。
不幸な亡くなり方をしたマドレーヌを精一杯送るために、
急の工面を秋田の富豪、平野政吉に依頼しに行ったりしたらしい。
だとすれば、この富子嬢に出会ったのは、そのときの秋田行きだったのではないか?
心中いかばかりであったろう、と思うけれど、たった27歳で亡くなったマドレーヌへの
哀惜が、この二十歳の富子嬢の生の輝きなのであるのかもしれない。

翌年1937年、藤田は平野政吉に乞われて秋田に巨大な壁画を描き、そして
愛国心の強い彼は、「旅の時代」に磨いたモンゴロイドに対する描写力をフルに使って
戦時体制下の絵を描くようになり、やがて迫真の戦争画へと至る。
戦後はご存知の通り、画壇から戦争責任を取れと迫られて日本を去る。
戦争画を描いたことを批判するのは簡単だ。
だが、その時日本で生きていたら、私を含め今の日本人だってみんな愛国心に染まっている
に違いないだろう。
戦争画を描いた大半の画家は戦後何も語らないが、藤田は描いたことが誤りだったとは
思っていない旨のことを言っている。
彼は生粋の日本人だったから、自分がその時その時正しいと信じたことを
誤魔化すことができなかったのだと思う。

この肖像の、正しく戦前の日本人である姿を見ると、気のよい彼の親切心と一緒に
その後の彼の人生のことをふと考えてしまうときがある。



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