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2011/08/13.Sat

読書一週間 (「三岸好太郎 昭和洋画史への序章」/匠秀夫)

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今週は黙々と読書。古書市で偶然みつけて買っておいたを読む。
- 「三岸好太郎 昭和洋画史への序章」/ 匠秀夫 -
気に掛かっていることにはひたすら突進する私(笑)。

結構な厚さので最後まで読めるかなぁ・・・とは思ったけれど、
毎晩を置いて眠るのが惜しくなるほどおもしろかった。
三岸と同じく北海道出身の著者、匠秀夫は
「伝記であるから、事実の把握が何よりも肝要で、「面白さ」までは無理として、
せめて、「当さ」を果たしたいと、と心がけた」と書いているのだが、どうしてどうして。

三岸の絵を見たときに感じた何かは、やがて「視覚詩」と呼ばれる貝殻や蝶の連作に
昇華する、彼の天賦とも云うべき「詩魂」だったのかなと思う。
そんな彼の実像が、周囲の人々からの聞き取りを元に丹念に積み上げられている。
とてつもなく純粋で繊細なのに、半面ふてぶてしいまでに旺盛な生活力があり、
法螺を吹いたり女を追っかけたり、お洒落に凝ったり古物を買ったり、
平気でつまらない「売り絵」を量産したり、子供のように生きたい様に生きたという。
彼の生活は母や妹、妻子を抱えて食うや食わずやだったというが、
そんな哀愁など漂わせることもなく、誰からも愛される不思議な存在だったそうだ。
夭折の画家のひとりであるが、その夭折ぶりもあっぱれで、
代表作の貝殻や蝶の連作をあっという間に描き上げて、
なかの一枚「のんびり貝」(三岸好太郎美術館蔵)の売り上げで、
夫人で画家の三岸節子女史と「貝殻旅行」と称して関西を旅し、
楽しみにしていたモダニズムの白亜のアトリエの建築資金捻出のために滞在していた
名古屋であっけなく客死した。

匠秀夫の好きな土方定一の文章が、彼の生とその時代を語っている。
「・・ぼくは大正後期から昭和初期にかけてのフランス近代絵画の移植過程の流のなかを、
苦渋も停滞も示さず、ぬき手を切って進んでゆく水泳者を見る思いがし、
その青春のしぶきを浴びる思いがした。三岸好太郎という水泳者は、
移植過程の奔流のどれにも追従することを嫌い、水泳者としての自己実存だけを
信ずる強さに生き、自己の叙情詩圏を歌う水泳者であったように、ぼくには思われる。
そしてそういう水泳者であったように、ぼくには思われる。
そしてそういう水泳者であることさえ、自らは知らなかったような原意志に駆られた
天成の芸術家であったように、ぼくには思われる。この天成の芸術家は自己の運命を
予知していたのであろうか、あるいは、自己が信ずる自己実存の背後の虚無を
いつも見ていたのか、・・・いわば、自己実存の最後の崩壊に似た暗示的な作品をのこして、
三十一才の若さで、名古屋で客死している。」(土方定一「三岸好太郎の芸術)

洲之内徹が最初にやりたかった企画展は「靉光」とこの「三岸好太郎」であったという。
三岸についての彼の文章はないと記憶しているが、彼は三岸のことをどのように
感じていたろうと思っていた。土方定一の文章を読んでまたそう思う。

彼の画業は大正十二年(1923年)の関東大震災前後に始まり、亡くなった
昭和9年(1934年)、戦時体制の色濃くなり始める頃までの僅か11年のものであった。

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