2011/09/20.Tue

時代を生きて (「画家たちの二十歳の原点」展)

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9月17日(土)、碧南市藤井達吉現代美術館へ行く。
先日台風の暴風で臨時休館を食らったリベンジである。(この日も台風が近づいていたけれど。)
この連休で当会場は終了したが、今度は足利市へ巡回する「画家たちの二十歳の原点」展である。
前回見そびれた翌日に丁度NHKの日曜美術館で特集をしたせいなのか、
あんがい多くの人が来ていたが、海外から名画を取り寄せて開かれる展覧会に比べれば
ゆったり見られるのはうれしい。
でも、日本の一級の画家達の出発点を見られる、という面白い企画なのに
(去年の長谷川りん二郎展に引き続き、土方明司氏の仕組んだ罠である)
この程度の人出だし、関西には巡回してくれなかったのは返す返すも残念なことだ。
(大阪市が近代美術館を早くなんとかしてくれればいいんだけどな。。。)
さて、この企画に出展されている絵(一部版画あり)は、おおよそ画家達が
「画家」になろうとする、二十歳前後に描いた作品ばかりである。
それらを明治のアカデミズム全盛期、大正デモクラシーの時代、戦争前夜、
そして戦後と高度成長、最後にバブル崩壊後の現代、とグルーピングしてあり、
順に眺めていくと日本の近代以降の絵画芸術の流れ、いや、約100年に渡る
日本の近代化の過程そのものが分かる仕掛けになっている。
というとまるで歴史のお勉強みたいであるが、これらを見ていると、時代というものに
人間形成の重要な時期である青春期を迎えた人間がどう対峙し、そして巻き込まれてゆくのか、
そういうことが、「リアル」な生々しさでもって迫ってくるのだった。
そんなことを思ったのは、3・11以降「何かが変わってしまった」という感覚を
持ち続けていることもあるかもしれない。
何か、この画家達のようにやはり私も、激動の「時代」というものに巻き込まれていること、
そういうことにどきりとする。
私達は過去を振り返り、絵を見ているから「あぁ、そういう時代だったのだ」と思うわけだが、
当の画家達は自分たちの生きる時代の行く末など知らなかった。
戦争前夜といっても、誰もあのような戦争を知りえなかったのだという、
当たり前のことが痛切に思われる。
では、今私の生きる時代に何が起こっているのか・・・。

そんなことをそれ以来ぼんやりと考えているのだが、出展された絵はどれも素晴らしかった。
「若描き」を未完成品として軽んじる人もあるかもしれないが、私は「原石の輝き」が好きだ。
「夭折の画家」と呼ばれる人たちは二十歳前後で既に天賦の才を発揮しており、
生き急ぐことを運命付けられていたのかと、どうしてもつい思ってしまう。
才能は豊かだけれど、まだアカデミックな画風でしかない人もいる。
でも皆、二十歳という青二才の頃に、目に見えるものを作り上げたということ、
それに私は驚嘆するのだった。
何故なら私の二十歳は、どうしようもなく頭でっかちで、捨てばちで、
確かに彼らのように迷宮を手探りで彷徨ってはいたものの、それを何かにすることなどできず、
ただただ時間を浪費していただけだったからだ。
(「二十歳に戻してあげる」といわれても、心の底から私はNO!と言う。)
私の精神年齢の成長は相当遅いらしく、自分のことがいくらか分かるようになってきたのは
30代になってからだったように思う。(夭折にはほど遠い・・・。)

あぁ、もう何書いてるんだかよく分からない。
ということで、最後に画家達に敬意を表して。。。
萬鉄五郎、中村彝、安井曾太郎、参りました。
梅原は輝いていて、槐多にはいつでも仰天感嘆させられる。
関根正二の油彩は今回まじまじと見つめた。
三岸好太郎はどんな彼も彼らしく、海老原喜之助の「平明」さには舌を巻く。
靉光と野見山暁治の深い沈黙を聞き、長谷川りん二郎の密やかな香りを嗅ぐ。
版画では月映の恩地孝四郎と田中恭吉、そして加藤太郎に黙する。
収穫だったのは現代作家たちの二十歳を見たこと。でもそれは今回は書かない。

興味のある方は、足利市美術館(9/25~11/13)へ。









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