2012/01/17.Tue

備忘録

牧山桂子さんの文を読んでいて、胸を衝かれたことがある。

「毎年桜鱒の時期を母は楽しみにしていました。同時に大好きな桜も楽しみに
していました。桜も鱒も、自分の年齢からいって今年が最後かもしれないと
思ったのか、見たり食べたりするとあなたたちよりももっときれいで、
おいしく思えるのだと言うのが、亡くなる五年ほど前から常となっていました。
誰にだって最後かも知れないのに。」
(新潮社『白洲次郎・正子の夕餉』-四月/桜鱒の塩焼き-より転載)

「誰にだって最後かも知れないのに。」
阿蘭陀の伸びやかな色絵のお皿に美味しそうに盛られた桜鱒の写真に添えた文。
父である白洲次郎氏と母の正子氏を既に見送った娘の心中と、生きる覚悟を
このひと言だけで書いていた。

こんなことを思い出したのは、今日の朝日新聞の夕刊に載っていた詩に
戸惑ったからだ。
子供を亡くした母が書いたというその詩は、その悲しみがリアルなあまり、
普段から不安の強い私には受け止めきれないものだった。
「後悔のないように今を生きよう」という希望の詩だったのだけれども。

このような詩に慰めを見出す人の体験とは、
おそらく、計り知ることのできないものだろう。
東日本と神戸の震災にまつわる記事として載っていたのだけど、
せめて「計り知ることはできない」という事実を私は知らなければならない。

(以下は朝日新聞より転載)
最後だとわかっていたなら
(作/ノーマ・コーネット・マレック 訳/佐川睦、サンクチュアリ出版)

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

 あなたがドアを出て行くのを見るのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは あなたを抱きしめて キスをして
 そしてまたもう一度呼び寄せて
 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

 あなたは言わなくても
 わかってくれていたかもしれないけれど
 最後だとわかっていたら
 一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
 わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 そして わたしたちは 忘れないようにしたい
 若い人にも 年老いた人にも
 明日は誰にも約束されていないのだということを
 愛する人を抱きしめられるのは
 今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

 微笑みや 抱擁や キスをするための
 ほんのちょっとの時間を
 どうして惜しんだのかと
 忙しさを理由に
 その人の最後の願いとなってしまったことを
 どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

 「ごめんね」や「許してね」や
 「ありがとう」や「気にしないで」を
 伝える時を持とう
 そうすれば もし明日が来ないとしても
 あなたは今日を後悔しないだろうから
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