2012/02/17.Fri

朱 (古伊万里赤絵豆皿)

前回、思わぬことで割れたものと一緒に豆皿を金継ぎに出した、と書いた。
思わぬこととはまさかの輸送中の破損、5枚の小皿の1枚が大きく割れて届いたのだった。
そういう場合、普通は商品と引き換えに保険で代金が支払われるのだけれど、
古いものは替えが効かない。交渉すると、幸い運送会社も修理に応じてくれた。

そんなことがあり、「金継ぎ」という修理の方法があるのだと、
古陶磁のことをあまり知らない妹に以前話をしたときのこと、
「じゃあ、そうやって修理されてきたものならいっそう愛着が湧くね。」と彼女は言った。
この妹、見たところ世間の荒波の中では生きていけない全くの甘ちゃんなのであるが、
時々そんな風に「御神託」を吐く。生まれながらに慈悲深いのだろう。
割れてきたことにがっくりしながら、藁をもすがる思いで金継ぎに出した人を
自然に吐いたひと言で癒せる力は、社会的適応力とはあまり関係しないらしい。。
実際、修理されて戻った小皿を入れて5枚並べてみたときに、割れた痛ましさなど
少しもなく、安堵と愛おしさのの気持ちが自然に湧いてきたのだった。
私であれば、およそつまらない言葉を返していただろうなと思うと、業の深さに
身につまされる。

そんなことを書きながら、この豆皿は、その、修理に出した小皿ではない。
修理された赤絵の花文の豆皿を眺めていて思い出したものだ。

blog 8204

高台に妙な穴が通してある。
聞くところによると、これは奉納するためのお札で、この穴は吊るすのに紐を通すための
ものだという。
blog 8203
(7.2cm × 5.2cm)

中央の朱は、その「願」を書くためのものだろうか。
そういうもののせいか、小さいけれど力強く、先日の赤絵とは対照的に男性的な、
野趣のある様子であるのに惹きつけられる。
柿右衛門伝説ではないけれど、白磁の生産に成功した後、さらに朱の色を載せたことは
一大革新であったことだろう。
「朱」が古来神聖で、魔除け的な意味合いを持つものであったからこそ、
このようなものも作られたのかもしれない。
当時の人が掛けた願は、今の私が掛ける様な甘っちょろいものではなく、
ことの大小に関わらず、切に切に願われたものであったろうなと思うにつけ、
またも自分の業の深さに恥じ入ることである。

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